潮来祇園祭禮は、天王山に鎮座する素鵞熊野神社の例大祭で、八百有余年の歴史と伝統がある祭禮です。
毎年8月の第一金曜日から日曜日までの3日間かけて行われ、まず初日に二基の神輿(俗に天王様、権現様と呼ばれている。)が出御する「御浜下り」ではじまります。中日は町内渡御(町内御巡行)、最終日には還御(お山上り)が行われます。
この祭りに花を添えるのは、三丁目の獅子舞をはじめ、総数十四台もの山車、そしてこの山車にのった芸座連によって奏でられる潮来ばやしです。山車のうち三台は県指定文化財、そして獅子舞と潮来ばやしは県指定無形文化財に指定されています。圧巻は「のの字廻し」や「そろばん曳き」に代表される「曲曳き」で、若連と山車、芸座連が一体となった様は必見です。
また、市内を流れる前川沿いには大きな幟がいくつも立てられるなど、都市部の祭禮にはない潮来独特の風景を見ることができます。
 

素鵞熊野神社は、辻の天王原に祭られていた小社を、文治4年(1188年)に潮来の天王河岸へ移し、牛頭天王と呼んだのが素鵞神社のはじまりである。牛頭天王は八坂神社の祭神で、元来はインド祇園舎の守護神とされ、疫病除けの神として知られている。
文治4年(1188年)の遷座と牛頭天王を奉斎した背景には、潮来地方での疫病の流行などがあったものと思われる。また、伝承によれば熊野三社を参詣した村人が、その霊験を尊んで天正年間(16世紀後期)潮来に勘請したのが、本宮、新宮、那智の熊野三社権現である。
元禄9年(1696年)に牛頭天王は、一村一社の政策により現在地に移り、熊野三社権現と相殿になった。さらに天保15年(1844年)、牛頭天王は仏教色の強い呼称から、神道的な素鵞神社へと社号を改め、同時に熊野三社権現も熊野神社と名前がかわった。
明治10年(1877年)に長く相殿であった両社は、素鵞熊野神社となって現在に至っている。
祭神は須佐之男命、奇稲田比命、速王男命の三神で、境内社として神明神社、大六天神社、松尾神社、淡島神社、
金比羅神社、愛宕神社、大杉神社、稲荷神社を祭る。例祭に奉納される獅子舞と潮来ばやしは、県指定の無形文化財に、また境内の大欅は県の天然記念物にそれぞれ指定されている。


(出典:潮来町史)